ウォー・デイ 著:W・ストリーパー、J・W・クネトカ 新潮文庫

構成

 1988年10月27日に、ソ連がアメリカを核攻撃し、アメリカが反撃、米ソ核戦争が発生する。しかし、その戦争は、ヨーロッパで結ばれていた秘密協定の影響もあり、全面核戦争にはならずに終結する。
 1988年10月27日、通称「戦争の日(ウォーデイ)」にニューヨークで核攻撃を受けた作家、W・ストリーパーは、被曝により余命はわずか、また、「治療不可能」と判断されることとなった。
 そんな彼は、友人のJ・W・クネトカと共に、ウォーデイ後のアメリカを旅して、人々がウォーデイをどのように過ごし、また、その後、どのようにして生きてきたかを明らかにしようとする、という、フェイクドキュメンタリー形式の小説。
 ページ数は、570ページ、文庫版サイズ。若干、入手困難ですが、古本が売られています。

内容と感想

 全面核戦争とはならず、ウォーデイ(戦争の日)と呼ばれる、1日ですべてが終わった米ソ核戦争後のアメリカを、二人の作家が旅しながら、様々な人々にインタビューする、という、「ワールド・ウォー・Z」の核戦争版のようなあらすじ。(出版はウォーデイが先です、念のため)
 戦争当時の政府高官、祖国が壊滅したことを知らずに潜行している潜水艦を狩る潜水艦掃討部隊の艦長、科学者、自身の体験などを交えながら、リアルな核戦争後のアメリカを描いており、街頭調査の結果や、地図、データが記載されており、ドキュメンタリータッチの小説としてのリアルさ、細部へのこだわりは一級品の傑作。
 戦争により衰退したアメリカに変わり、イギリスや日本がアメリカに変わる新たな超大国となろうとしており、日本製のコンピュータや自動車、リニアモーターカー計画も登場、核の脅威を知っているはずの日本が、ロスアラモスの核施設を大阪に移転しようとしている描写も。
 核戦争後のアメリカは、中央政府が崩壊し、核戦争により被害を受けた地域は、立ち入りが制限される、電磁パルス(EMP)により、電子機器のほぼ全てが破壊されたため、工場やインフラ、経済の複雑なシステムは全て崩壊してしまい、通貨は金本位の金貨に変わられている。
 そして、地方政府も、核攻撃の被害が少ないカリフォルニアが実質的に独立国のようになり、他の地方からの移民を制限するなど、州の集まりであるアメリカらしい一面もある。
 核戦争小説というと、核戦争下でのサバイバルや、全面核戦争後の文明崩壊系を生き抜く、という内容が多い中、たった1日の戦争で崩壊したアメリカのその後をドキュメンタリタッチで描いた作品は少ないのではないだろうか。
 文明崩壊、というほどでもないし、無法者と正義に分かれて争っているわけではないけれど、だからこそ、現実味がある。
 

 

【行ってみた】建築倉庫 建築模型ミュージアム

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どんな展示?

 建築家が設計の前に製作する建築模型。
設計事務所ごと、目的ごとに、製作方法や材料も違っているようです。この建築倉庫は、1/100建築模型用添景セットで有名な寺田模型の本社ビルに開設された日本発の建築模型の保管を行うミュージアムです。

アクセスは?

東京モノレール天王洲アイル駅 徒歩5分
東京高速臨海鉄道りんかい線 天王洲アイル駅B出口 徒歩4分
JR品川駅港南口より徒歩15分
のところにあります。
黒いビルの正面に立って左側の壁のDエントランスから中に入り、正面の木の扉を押すと、受付になっています。

内容と感想

 展示場は、まさに倉庫といった感じの内装で、天井の高い一部屋に棚が置いてあり、そこに建築模型が並んでいます。また、棚の上の段や、一番下の段には、建築模型が入っていたと思われる箱があるなど、「倉庫感」満載です。
 ちょうど、9月初めの午後に訪れたのですが、意外と人がいました。館内は撮影可となっており、建築系と思われる大学生の人がいて、模型の写真を撮影していたりしました。
 また、QRコードを読み取ることで、その建築家の略歴や、その他の作品(建築物)を見ることもできます。
 実際に建築家が検討に使用した模型や、コンペ用に製作した作品の展示が中心で、例えば、落水荘のように、有名建築の建築模型のみを展示用に製作し、展示している、というのではありません。太宰府にある、スターバックスのように、実際に建築され、一般的に利用されている建物や、提案のみで建築されなかった建物の模型もあります。
 建築模型にも様々な種類があり、一般的にイメージされる建築模型(白い板でできていて、人の人形が立っているようなやつ)の他にも、建築家がコンセプトを考える時に作る、スタディ模型やコンセプト、検討模型などと呼ばれる、発泡スチロールの箱のようなもの、建物と周りの景観、都市計画などに使われる景観模型、など、一言で建築模型、と言っても種類は様々、建物の構造をわかりやすくするための模型など、通常、あまり目にすることのないものもありました。
 最初に大雑把な模型で建物の形を考え、さらに詳細な模型を製作しながら、建物のデザインを行っていく、という建築家の思考プロセスがわかるような展示でした。

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 材料も、スチレンボードや段ボール、板、プラ板など様々、建築家ごとのこだわりでもあるんでしょうか?
 中でも、一番見ごたえがあったのが、プレゼン用に使われると思われる模型で、縮尺も大きめで内装や照明まで作り込んでいるなど、ドールハウス好きにもたまらない? と思われるものでした。
 建築やデザイン志望の人なら見に行って損はないでしょうし、ミニチュア好きや、模型好きにも満足がいく展示になっていると思います。

公式サイトはこちら

archi-depot.com

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面白くて眠れなくなる植物学 著:稲垣栄洋

構成

 生物学の中の一分野である、植物学。無味乾燥で面白くないイメージのある植物学ですが、実際はとても面白いのです。そんな、「面白くて眠れなくなる」植物学の知識集。
 ページ数は、約200ページ。難易度は、高校で生物を選択した人なら、「知ってる」となる話が多く、数式や難しいグラフ、理論などはあまり出てこないので、理系に苦手意識がある人にもオススメできます。

内容と感想

 空気圧の関係で、どんなに強力なポンプを使っても、10m以上水を持ち上げることはできない、しかし、10mを超える木は普通に生えている。木はその先端までどのようにして水を供給しているのでしょうか、また、木は何メートルまで水を持ち上げることができるのでしょうか。
 例えば、この話のように、本書は、様々な植物の不思議、とそれがどのような原理に基づいているのかについて書いてある本です。
 本書で扱われている植物学は、高校生物でその一部を学ぶのですが、高校レベルの生物は、どうしても「覚える科目」というイメージが強いと思います。私は、高校で生物を選択した理系の一人ですが、周りに、「計算が苦手な人」や、「文系科目が得意な人」が多かったイメージが(笑)
 ですが、実際はその「覚える事」の背景には理論があって、「ただ覚える」人には難しい科目かもしれないけれど、「理解して、記憶する」人にとってはとても楽しい科目だったりするのです。(実際の試験では、理解して、記憶した知識をもとに、グラフや表から未知の現象について考察する問題があったりするのです)
 難易度としては高校生物レベルで、高校で生物を選択した人には、これ知ってる、となる内容もあるのではないでしょうか、しかし、高校で生物を選択した人は 少ないと思うので、「ほお」と思う人の割合は高いと思います、また、現在、高校で生物を勉強中の人には、授業で習ったことの背景にある原理がわかって、理 解の助けになると思います。
 生物学を勉強中の人、植物に興味のある人は読んで損はないでしょう。
 あと、タマネギを切った時に涙が出にくくするには、温めても、冷やしても、どちらでも効果はあります。
 
 

闇(ダーク)ネットの住人たち デジタル裏世界の内幕 著:ジェイミー・バートレット 訳:星水祐

構成

google や yahoo, facebook, twitter, youtube,amazon etc... 皆が当たり前のように使っているインターネットの世界、そこは自由で、匿名性があり、なりたいものになれ、自分のしたいことができる、見つけられる世界だ。
 しかし、その世界の裏側には、表にはでてこない「闇(ダーク)ネット」が存在する。
 ネット荒らしや、身バレ、極右や極左の政治運動、ポルノ、さらに、google やyahoo ではアクセスできないネット空間には「暗殺市場」という名前のウェブサイトまである。
 これまで、ほとんど研究されてこなかった、インターネットの裏側「闇ネット(ダーク)ネット」に光を当て、研究を行った研究者による、「闇(ダーク)ネット」の体験記。
 大きさは、通常のハードカバーサイズ、分量は約450ページ。
 翻訳は、英語圏のネットスラングや言葉遣いをそれらしく翻訳しようとして、苦労した形跡がある。結局、掲示板の内容は、2ch風の翻訳になっていて、(笑)とか、オワタとかが出てくるので、わからない人は調べるように。あと、ビットコインとは何か、インターネットの歴史や、英語圏の顔文字の見方を知っておくとなお良いかもです。;-)
 目次
   はじめに
 序章 自由か死か
 第1章 荒らしの素顔を暴く
 第2章 一匹狼
 第3章 「ゴールド峡谷」へ
 第4章 3クリック
 第5章 オン・ザ・ロード
 第6章 ライト! ウェブカメラ! アクション!
 第7章 ウェルテル効果
 終章 ゾルタン対ゼルザン

内容と感想

 インターネットで検索し、日常的に使われている領域は、ほんのわずかに過ぎない、とか、深層ウェブのサイトを訪れたら、PCをハッキングされた、ウェブカメラ越しにこちらを見られていた、とか、「闇ウェブ」に関して、都市伝説的に語られることは多いでしょう。
 本書では「闇ウェブ」に対して、それよりも少しだけ広く取り扱っているようで、「シルクロード」のような、違法薬物の取引サイトから、極右や極左、掲示板の荒らし、自傷マニアの掲示板、ポルノなど、インターネット上に存在する非生産的、破壊的コンテンツをまとめて「闇ウェブ」として扱っている。
 これらのウェブサイトのうち一部は、(シルクロードとか)は、通常のgoogle検索やyahoo検索では到達できず、Torと呼ばれる特殊なブラウザ(参照→Tor - Wikipedia)を利用しなければ到達できないようになっているそうだ。
 しかし、ここからが重要で、IPアドレスを偽装し、日本ではサイバー犯罪者御用達のようなTorブラウザーだが、その反面、内部告発者やインターネットによる検閲を避けたい人にとっては、救世主、とも言える存在であるのだ。暗号化技術も同様だしLiveLeakのようなサイトは、政府が隠そうとしている映像や画像を明らかにする一方、グロ映像サイト、として一部に人気でもある。
 自殺志願者が集う掲示板で本当に死ぬ人もいれば、同じ境遇の人を見つける人もいる。
 つまり、インターネットは、善か悪かといった議論に意味はない。その差は紙一重であって、使い方次第ではどうにもなってしまうものなのだ。
 そして、極右団体がネットを利用して、大きな支持を集める一方、同じ思想や自分に都合の良い情報に接し続けることにより、思想の過激化が一層進んで行く集団分極化、この現象は、日本でも起こっているに違いない。
 インターネットの表層の、さらに日本語化されているところなど、ごくわずかでしかないわけで、皆さん、少し英語を使ってgoogle検索するだけで、全く違った世界が開けておりますぞ。

 

【行ってみた】ルーヴル美術館特別展 「ルーヴルNo.9 ~漫画、9番目の芸術~」

 先日、東京、六本木の森アーツセンターギャラリーにて開催されていた、ルーブル美術館特別展「ルーブルNo.9 ~漫画、9番目の芸術という展覧会に行ってきました。


混み具合は?

 実際の混雑具合は、そうでもない。5分待ち、とのことだったが、わりとスムーズに入れました。とても混んでいるように見えたけれど、同時に「ジブリ展」と「宇宙展」の二つが開催されていたからのようだ。
 ちょうど、12時頃から入場したけれど、館内も、「ある程度は人がいる」ぐらいの混み具合。人がいっぱいいて困った、みたいなことはなかった。

どんな内容?

 フランスのルーブル美術館が、「ルーブルBDプロジェクト」として、ルーブル美術館を題材にした漫画の制作を、有名な漫画家に依頼する。
 テーマは「ルーブル美術館を題材にすること」、フランスの漫画家だけでなく、日本の荒木飛呂彦氏など、合計16名がルーブル美術館を題材とした漫画を制作する。
 この展覧会は、そうして制作された漫画を元にして、「漫画」という視点でルーブル美術館を見る、という試みである。
 展示内容は、実際に作中に登場しているルーブル美術館の見どころ、例えば、赤の間や、ガラスのピラミッド、ミケ像などを紹介する第1章、ルーブル美術館の裏の顔、に当たる、倉庫や作品にまつわるエピソードなどに重点を当てた第2章、時代を超えるルーブルの魅力を漫画家たちの想像力で描く第3章、の合計3個のゾーンに分かれている。
 漫画を通して、ルーブル美術館の魅力を再発見する展示であり、実際に所蔵されている油絵や彫刻が来日している、という展示ではないのでご注意を。

感想

 フランスには、「芸術」として、これまで8個の分野がある、とされていた。
それは、「建築」「彫刻」「絵画」「音楽」「文学」「映画」「演劇」「舞踏」の8個であるそうだ。
 そして、9番目の芸術、として「漫画」というものが新たに加えられようとしているそうだ。
 「漫画」と言っても、より正確に言えば、「バンド・デシネ (BD)」と呼ばれる漫画であり、日本発祥の「Manga」「Comic」や、いわゆる「アメコミ」とは少し毛色の違うもののことを指している。
 その特徴は、芸術性が高いこと、にある。日本の漫画は、(特に、雑誌に連載されているものは)基本的には白黒、各コマ一つ一つの書き込み、よりも、一冊のストーリーを楽しませることを目的としたものが多い。また、雑誌連載の作品は、制作期間が短く、アシスタントを使う、など、エンターテイメント、としての側面が強いものが多い。
 一方、フランス式の漫画「バンド・デシネ」(以下BD)は、基本的にフルカラーで、一コマ一コマ、絵としても楽しめるように書かれているほか、紙質も高級紙に印刷されていて、本も大型、制作に時間がかかり、一年で一冊のみの刊行になることも多い。
 有名な物としては、「タンタンの冒険」シリーズのようなものを想定してくれればいい。(ル・グラン・デュークとかも)
 まあ、漫画の表現としては、どちらも一長一短あって、物語のスピード感、スクリーントーンや、多彩な吹き出しを使い、ストーリーのスピード感などを重視するエンターテイメント、として漫画を捉えているか、一コマ一コマを細かく書き込み、「芸術」という側面に重点を置いているか、という違いがあるわけです。
 で、そんなBDが展示されている本展、あえて残念な点を挙げるとすれば、漫画を全て読めないところ。スペース的に無理があるのは理解できるけれど、せっかくなら制作された作品の一部だけでなく、全て読みたかった。(できれば座って)
 あと、一部作品には、セリフの翻訳はあるけど、そのページの絵がない、というのがあって、ちと混乱しましたな。
 フランスの漫画、ルーブル美術館について知るにはいい展示だっただけに、全部読みたい欲、もしくは実際に出版された形式で読みたい欲が出る展示内容でありました。
 2016年9月25日まで、六本木の森アーツセンターギャラリーで開催されています。
(HPはこちら:ルーヴルNo.9 ~漫画、9番目の芸術~ |Manga-9Art)

【ネタバレあり・感想】帰ってきたヒトラー

どんな映画

 第二次世界大戦で死んだはずのあの男、アドルフ・ヒトラーが現代によみがえる。
現代によみがえったヒトラーは、新聞やネット(wikipediaも)を使い現代の知識を得ていく。そんなヒトラーは、超絶リアルなヒトラーのモノマネ芸人である、と誤解され、彼の演説は現代ドイツを鋭く批判した風刺コメディーだと誤解され、テレビやyoutubeでコメディアンとして大ヒットする…
 2012年にドイツで発売され、ベストセラーとなった小説「帰ってきたヒトラー」の映画化作品。


映画『帰ってきたヒトラー』予告編

映画の内容(ネタバレあり)

 ヒトラーが目覚めると、そこは敵戦闘機も飛んでおらず、砲声も聞こえない公園だった。状況がつかめないヒトラーは、近くでサッカーをやっていた少年に声をかけるが、当然のことながら、「変なおっさん」扱い。すっかり変わってしまった街を歩くと、大勢の人から写真を撮られるばかり、どうにかたどり着いたキオスクでここが2014年だ、ということに気づく。キオスクで新聞を読み、ドイツが敗戦したことや現代の政治状況について、(一応の)知識を得る。
 その一方で、テレビ局では、人事異動があり、新局長にベリーニという女性が就任し、ゼンゼンブリンクは副局長に据え置かれる、そして、経費削減を理由にゼンゼンブリンクから解雇を言い渡されたフリー記者、ザヴァツキは、サッカーをする子供の撮影中、背景に写り込んでいた、ヒトラーを、ヒトラーそっくりさん、と勘違いし、自らの再起をかけてテレビ出演させようとする。
 ヒトラーとザヴァツキは、ドイツを移動しながら、各地で撮影を行う。バーや街角で民衆と対話するヒトラー
 そんな彼は、youtubeで100万再生を獲得し、ついにテレビデビューを果たす。秘書役として彼にインターネットの使い方などを教えた、ゴス系女子社員クレマイヤーとともに、現在までの歴史や知識を取り入れた(主にwikipediaから)ヒトラー
 コメディ番組にそっくり芸人として出演し、現代ドイツの諸問題やマスコミ、政治について、毒舌演説を行う彼は、たちまち「毒舌芸人」、「ヒトラーそっくりの政治風刺コメディアン」として、大ヒット、youtubeでも「過激ながら真実をズバリと言い切っている」と大人気になる。
 しかし、人気絶頂の彼がテレビ出演した際、過去(復活直後)の撮影中に犬を射殺した映像をリークされ、テレビ出演取り消し、を言い渡され、局長であった、ベリーニは解雇され、ゼンゼンブリンクが新局長に就任する。
 時間ができたヒトラーは、自らが現代によみがえってから今まで起きたことを小説「帰ってきたヒトラー」として発売、ベストセラーとなり、映画化も決定する。
 一方、人気芸人ヒトラーを失った後、テレビ局は収益が悪化、「そろそろほとぼりも冷めた」として、ゼンゼンブリンクは、「帰ってきたヒトラー」の映画制作への協力を示す。
 そして、クレマイヤーと恋仲になっていたザヴァツキがヒトラーとともにクレマイヤー家を訪れた時、認知症であるはずのクレマイヤーの祖母が、ヒトラーに対して、恐怖を抱き、拒絶する。クレマイヤーの祖母は、ユダヤ人であり、その家族皆、強制収容所で殺されてしまったのだ。クレマイヤーがユダヤ人であることを知った時のヒトラーの反応、そして、サッカー少年のビデオの背景にヒトラー出現の瞬間が写り込んでいたことから、ザヴァツキは、ヒトラーがモノマネ芸人やそっくりさんではなく、現代によみがえった本物、であることを確信し、ネオナチに襲われ、病院で療養中の彼を捕まえようとするが、精神に異常をきたした、として、病室に閉じ込められてしまう。
 一方、映画、「帰ってきたヒトラー」は撮影が終了、街を行くヒトラーに敬礼し、写真を撮る人々、現代によみがえったヒトラーはこう呟く「好機到来」と。

感想

 まず、ストーリーだけれども、細部が小説版とは異なっているため、小説を読んだ人にも楽しめる。というか、原作はヒトラーが書いたこと、になっているし、その映画化作品(今見ているこの映画)自体がヒトラー主演、という形式をとっている。
 街行くヒトラーがバーや街角でドイツ人と意見を交わすシーン、「過去のことがあるから、少しでも変な意見を言うと、すぐ外国人差別だと言われる」、「移民、特に原理主義者には帰ってもらいたい」など、全ドイツ人がそんな意見の持ち主だとは思わないけど、難民受け入れに反対する人々が少なからずいるようだ。そして、ヒトラーが街中を歩いたり、オープンカーに乗っていたりするシーン、これらの一部はゲリラ撮影されたもののようで、演技ではない、ドイツ人の反応、を見ることができる。「死ね」サインをする人もいるけれど、一緒に写真を撮影したり、ナチス式敬礼をする人がいたり、ヒトラー役の俳優もヒトラーに対する嫌悪感が薄れていることに驚いてたようだ。本編や予告編各所で、背景の人物にモザイクがかかっているシーンがあるが、それらは映画の撮影と知らされずに、ゲリラ撮影したシーンなのだろう。
 そして、彼の演説は毒舌ながら問題の本質をついている、としてネット上などで評価されるようになる。(トランプ大統領かな…)
 そして、映画内で「帰ってきたヒトラー」の撮影中シーンにヒトラーが発する言葉、「自分は民衆を扇動したのではない」、「政策をはっきりと明言し、そして、民衆に選ばれたのだ」、「他にどんな方法がある? 民主主義をやめるか?」
 ヒトラーは最悪の独裁者、と言われるが、そんな彼は、かつてドイツ国民から圧倒的な支持を受けて当選したのだ。
 終盤になるにつれて、スクリーンに現れる映像が、「現実に帰ってきたヒトラーが話している言葉」なのか、「『帰ってきたヒトラー』の劇中劇として撮影されている『帰ってきたヒトラー』のセリフ」なのか、わかりづらくなるシーンがある。
 そして、最終シーン、難民受け入れをめぐり、反対デモを繰り広げるドイツ人や、ギリシャ人、ドイツで起きた難民施設への放火映像など、映画の撮影ではなく、本当に現実に起きた出来事がエンドロールとともに流れていく。
 民衆に既存政治への不満が溜まり、難民やヘイトクライムが発生し、多少極端でもズバリと本質を言い切る強い政治家に人気が集まる現代。
 そう、タイムスリップしたヒトラーが活躍できるなら、まさにこの時代なのだ。
 民主主義によって、独裁者を選ぶことができる、民主主義的に、民主主義を拒絶することができる、という事実を、私たちはどう考えればいいのだろう。
 ドイツでは「戦う民主主義」を採用して、民主主義を否定する政党は極右、極左にかかわらず、解散させた過去があるそうだが…
 ついでに書くと、このヒトラー役の俳優さん、声はよく似ているし、特に帽子をかぶると本物と瓜二つ、と言っていいほどのクオリティ。過去のヒトラー映画のパロディーシーンやコメディータッチな描写があるなど、序盤はよく笑わせてくれるが、後半はまさに「笑うと危険」
 あと、クレマイヤー可愛い。
 おすすめですぞ。

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戦争は女の顔をしていない 著:スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ 訳:三浦みどり 岩波現代文庫

構成

第二次世界大戦ソ連では100万人を超える女性が従軍し、軍医や看護婦のみならず、狙撃手やパイロットなどとして、武器を取り、戦地へと向かった。しかし、戦後はその女性たちは世間から白い目で見られ、その戦争体験が語られることもなかった。
 そんな女性たちの声に焦点を当てた本書は、ウクライナ生まれの作家であり、ジャーナリストとして、初めてノーベル文学賞を受賞した、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチの代表作である。
 群像社から出版されていたが、ノーベル賞受賞後に版権問題で品薄が続いていたが、現在では岩波現代文庫から出版されている。
文庫版で、約500ページ(解説含む)、当時、従軍した女性たちへのインタビューで構成されているため、軍事的な知識は必要ではないが、それなりに重い描写も多いため、読むには覚悟が必要かも。

内容と感想

ソ連で女性が従軍し、また、軍医や看護婦だけでなく、パイロットや兵士として活躍した、という話は、個人的に軍事マニアとして知っていた。(女性のエースパイロットや名狙撃手もいる)また、ロシアの軍事博物館を訪れた際も、第二次世界大戦中の女性兵士の活躍についての展示もあった。しかし、そのような、一部の「英雄」を除いた大多数の女性について、その「生の声」に焦点が当てられることはなかった。
 その理由として、一つには大祖国戦争(ロシアでの第二次世界大戦の名称)は当時のソビエト連邦や(もしくは)現在のロシアにとって、「偉大なる祖国が勝利した」という物語でなくてはならず、「英雄」の物語である必要があった、という国の事情がある。

ヨーロッパの半分を解放した我が軍に対する中傷だ。わが国のパルチザン、わが英雄的国民に対する中傷だ。あなたの小さな物語など必要ない。我々には大きな物語が要るんだ。勝利の物語が。 (本書 P.32)

 また、その他にも、当事者である、女性たちがその物語を語らなかった、という理由もあるようだ。それは、戦争に言った女性に対する偏見のようなものがあったからではないだろうか。

4日目の朝、母が起こすんです「あんたの妹じゃ、誰にもお嫁に貰ってくれないよ。ああんたが四年間というもの戦争に行っていた、男たちの中にいたってことをみんな知っているんだよ」って。あたしの気持ちに触れないで、他の作家と同じように、あなたもあたしの勲章のことだけ書いてよ (本書:P.35)

 女性兵士と共に戦場にいた男性からも、「彼女たちと結婚しようとは思わなかった」という言葉が、本書中に幾つかある。
 そのような理由で、語られることのなかった女性たちの物語は、出版するのも難しかったようで、ゴルバチョフによるペレストロイカが始まるようになるまで、出版を拒否されたいたそうだ。
 この本の中で、具体的にどの部隊に所属し、どの戦線で戦ったか、について描かれている部分はあまり多くない。しかし、この作者が焦点を当てたかったのは、そういった、「英雄の歴史」ではない。また、そういった歴史は、その時の都合によって変更される場合もある。男たちがそれに隠れ、その事実や、思想、対立に対して興味を持つ「歴史」ではなく、その当時の生の物語に焦点を当てよう、と作者が決めた時に、作者が焦点を当てたのが「女性」の物語であったのだ。
 狙撃兵としての初めての戦場で、ドイツ兵を射殺することにためらいを感じ、また、前線に行く時に鞄いっぱいにチョコレートを詰める、その一方で、全身火傷をして兵士を戦車から引きずり出すこともする、本書に書かれているのは、英雄の、または、勇敢な兵士の言葉ではないかもしれない、しかし、実際に戦争を体験したものの、生の声、であり、時間とともに消えていってしまうそういった声こそが、本当に貴重なもの、なのかもしれない。