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【感想・レビュー】カレ・ブラン

映画

どんな映画?

 管理社会、人肉食、「家畜」と「社畜」…
勝者は「社畜」となり、敗者は「家畜」となるディストピア世界を描いたフランス映画


映画『カレ・ブラン』予告編

あらすじ

 主人公フィリップの母は、人肉加工会社に勤めていたが、「心を隠しなさい」と言い残して、アパートから投身自殺してしまう。孤児の集まる学校で生活するようになったフィリップは、飼ってた犬の首輪を使って首吊りを図るが、同じ学校に通う少女マリーに救われる。その後、フィリップは会社員としての日常を送っていた。その仕事は採用試験として理不尽なゲームを行わせること。一方、フィリップを救った少女マリーはフィリップと結婚していたが、会社員として成功したフィリップを好きになれず、二人の関係は冷え切っていた。上司の誕生パーティーに参加した二人は、4人の男たちが彼らのスーツを汚した給仕を殺す様子を目撃する。その帰り道、二人はその男たちに襲われそうになるが、駐車場の警備員パトリスに救われる。後日、フィリップの元を訪れた男たちに対して、彼は「愛社精神を試すため」として殴り合いをさせる。夜、人肉食を食べるスーツ姿の男を車で轢き殺したマリーは、自らの身分証明書を投げ捨てる。この事件の後、二人組みの男がフィリップたちの部屋のドアを激しく叩く。事態を察したフィリップはマリーを問い詰めるが、マリーは、部屋から飛び降りてしまい、フィリップも後を追って、身を投げるのだが…

感想(ネタバレあります)

 ジョージ・オーウェルの小説「1984年」、ガン=カタで有名な映画「リベリオン」など、いわゆる「ディストピアもの」というジャンルの映画、文学は様々あるが、本作がそれらのディストピアもの、と違っているのは「自分たちを支配しているものが明確に描かれない点」にある。
 前述の「1984年」では、ビッグブラザー率いる「党」が、リベリオンでは感情や芸術を否定する「テトラグラマトン党」が、主人公たちの倒すべき敵、として明確に存在している。だけれども、本作に登場する組織は、学校、会社、家庭ぐらいであり、「自分たちを支配している何者か」の存在は見えない。というより、ほとんどの人物は支配されていることすら気づいていない。給仕が殺されて時も人々は悲鳴をあげたり、それを止めようとはしない、その後、その給仕が人肉加工工場へ送られることへも、また、自分たちが人肉食品を食べていることも。そんな「自分たちを支配している何者か」を見つける過程が、本作の物語、と言っていいだろう。
 通常の「ディストピアもの」では異常な社会に気づいた(気づいている)主人公たちがそれを打倒するために戦う姿が描かれる。本作はそうではない。謎のビープ音も、人肉食も、試験や暴力で人が死ぬことも、極めて「普通」な社会なのだ。その前提を理解しないと、作品を理解するのは難しいかも(私は最初見た時、そうだった)。つまり、二度見推奨。
 「誰に支配されているかもわからないけれど、あるゲームへの参加を強制され、敗者は勝者の食いものにされる世界」これはまさしく、自分たちの生活している資本主義社会そのものではないか?
 本作はそんなこの世界の不条理に「気づく」までの映画ではないだろうか。

このような悲惨な世界で、愛の物語を伝える以外に希望を示す手段はありません。主人公がこの世界を生き抜く方法は、妻を愛し続けることができるという能力なのです。夫婦は一緒にいようと決断する。これは小さな希望ではなく、とても大きな希望です。この映画の最も重要な部分で、私たちは彼らが触れ合う姿を目撃しなければいけないのです。
(監督のインタビューより)

 普通の「ディストピアもの」のように、武力で世界を変えることはできないだろう、では、作中の世界、または、それとつながる現実の世界を変えるには、何をすれば良いのだろうか? 監督は「愛の物語を伝えること」と言っているが、どうだろうか?

監督インタビュー

eiga.com

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