パンジャンドラムは出てこない 核戦争小説を読もう第2回 ネヴィル・シュート「渚にて」

 

全面核戦争・人類滅亡… それは来るべき未来なのか?

核戦争小説を読もう第2回です。

第1回目は松本清張「神と野獣の日」でした。

the-level-seven.hatenablog.com

第2回目はネヴィル・シュート「渚にて」です。

先に総評を
(個人的な)好み度★★★★☆
死ぬ前に何をするか考えさせられる度★★★★★
読んでる時に頭の中で蛍の光が聞こえる度★★★★★

どんな本?

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 イギリス出身、オーストラリアに移住し、一部では珍兵器「パンジャンドラム」の開発者として知られる小説家「ネヴィル・シュート」氏による核戦争SF。

 中国・ソ連間で発生した核戦争は、北半球全体を巻き込んだ全面核戦争に発展。北半球の滅亡で戦争は終わったが、致死性の放射性降下物は徐々に南半球へやってくる。

 すでにオーストラリア北端は人間が生活できない地となり、主人公が生活するオーストラリア南端のメルボルンに放射性降下物が到達し、人類滅亡するまで残り数ヶ月。

 そんな中、アメリカ合衆国原子力潜水艦スコーピオン」は、北半球の放射線量、および、生物が全滅したはずの北半球から断続的に届くモールス信号の謎を調査するために出航する…

感想

 第1回の「神と野獣の日」が核兵器到達まで1時間ちょっとの中で起きる、混乱や暴動と不条理な死について描くある意味「パニック映画」的な作品であったのに対し、本作は、(戦争の影響はあるものの)暴動やパニック描写はあまりない。

 核戦争それ自体の描写も登場人物の回想として「中国とソ連が核戦争を開始し、エジプトや、その他小国による核攻撃とアメリカの報復が戦争の全面化を招いた。」ことが語られるのみである。

 しかし、本作全体、最初から最後まで「避けられない死」が常に意識される。主人公とその家族、親戚は赤ん坊がいたり、農場の手入れをしていたり、家庭菜園や庭造りに取り組んで、来年、再来年の話をし、そのための計画を立てているが、しかし、あと数ヶ月で死はやってくる。

 この「どうせ後数ヶ月で全滅だぜ?」的なことを言ってはいけないこの空気感。
もし、ここで「後は野となれ山となれ」とこの絶望的状況を受け入れてしまえば、一気に人間としての生や死というものは失われてしまうでしょう。

 本作は核兵器の恐怖と同時に、人間として生きること、そして死ぬことについて考えさせてくれます。

 ところで、核戦争といえば、米ソ対立または米中対立など資本主義陣営vs共産主義陣営の対決で発生するイメージですが、本作は中ソ対立から始まり、小国に拡散した核兵器が戦争を全面核戦争へとエスカレートさせてゆきます。

 中ソ対立が始まり始めた時期に書かれた作品らしいといえますね。