人が死にすぎるとコメディになる  核戦争小説を読もう第3回 筒井康隆「霊長類 南へ」

 さて、いつまで続くか「核戦争小説を読もう」。
第1回目は社会派推理小説作家の異色作、松本清張「神と野獣の日」

the-level-seven.hatenablog.com第2回目はパンジャンドラムの人こと、ネヴィルシュート「渚にて

the-level-seven.hatenablog.com第3回目は、小松左京星新一と並んで日本SF御三家の一人とされる筒井康隆
「霊長類 南へ」です。

総評
好み度★★★★★
ブラックユーモア度★★★★★

あらすじ

f:id:the_level_seven:20190908124548j:plain

 中国のとある軍事基地で発生した喧嘩により、核ミサイルの発射ボタンが押されてしまった。核ミサイルは韓国や日本の米軍基地、ソ連の軍港に命中、そこから起こった誤報や報復の連鎖によって、米・中・ソ間の全面核戦争が始まってしまう。

 新聞記者、澱口襄は、東京でガールフレンドの香島珠子と遊んでいたところ、核戦争勃発を知る。一方、政府は南極へ脱出しようとするが、ヘリコプターに閣僚やその家族、どさくさに紛れて逃げようとする警官などが詰め掛け、乱闘の末に墜落。

 自衛隊によって戒厳令が敷かれ、核兵器放射能の恐怖からパニックになった街を通り抜け、機械に詳しい少年ツヨシを助けつつ、珠子と共に新聞社に向かった澱口は、知り合いの新聞記者、野依渉から核戦争の状況を教えられ、ツヨシ・珠子と共に新聞社屋上のヘリを使って大阪にいる婚約者の元へ行こうとする。

感想

 一人一人に焦点を当てて、その死を描いた「渚にて」、第三者的な視点でパニックに陥った群衆を描いた「神と野獣の日」に対して、本作はパニックに陥る人々の様子を思いっきり誇張して描くことでブラックな笑いに変えている。

 そして、グロい。「霊長類 南へ」は発表済みの短編を改変して作品中に組み込んでいるため、主人公の1人称視点の他に、「神と野獣の日」にも近い3人称視点の場面も多いのだが、細部を徹底的に誇張して描くことで、群衆を人間から、霊長類、そして、臓器と血液が詰まった袋へと変えてゆく。

 そのありさまは、まさに巨大な回虫の大群だった。汚物にまみれて蠢く、巨大な回虫の大群だった。上へ、さらに上へと積み重なり続ける人間の山の、その底ではすでに圧死した人間たちのからだが音を立てて潰れ続けていた。

 もう全体がこんな感じである。

 全編から、ブラックな笑いと同時に、人間性を失い、南を目指す霊長類となった人間いに対する冷たい悲しみを感じる。核戦争が始まった原因も、人間性を捨てて生き残ろうとしたその結末も全てがただ、「nonsence」である。 

 ところで、私は「筒井康隆コレクションⅡ 霊長類南へ」でこれを読みました。これには作者による解説がついているわけですが、その中で

終戦争、あるいは核兵器をテーマにして書かれた長編小説は、非常に多い。邦訳されているものだけで二十数篇ある。(中略)このほとんどを僕は読んでいるはずだ。

という部分があります。この筒井康隆氏の核戦争小説リスト、ぜひみてみたい、などと思いました。